ちょっとトホホなカンボジア旅行記  β版  2006.06.25-29

シェムリアップ国際空港に翻るカンボジア国旗
 「どーせAさん、いつもドタキャンなんだから誰か行く人を見つけて保険をかけておきなさいよ!他人と相部屋だと気を使うから」という奥さんの一言(Tデスク談)から今回のカンボジア行きとなった。

 5月、新見の山奥で仕事をしていたらTデスクから電話があった。「会社が取れと言ってる連続休暇を使ってカンボジアかベトナムに行きませんか」という話だった。
 今年は特に忙しく、ろくに休んでいないので一日考えて家族の了解を取った上で、乗っかることにした。
 Tデスクが誘って、手を挙げた4人のうち、A支局長がベトナム・メコンを見たいという希望を言ったものの、アンコール遺跡2、ベトナム1、どこでもいい1で、アンコール(カンボジア)に行く事になった。

 ビザやらの細かい手配は倉敷のデスクで多忙を極めるTくんがすべて行ってくれて助かった。彼がいなければこの旅、途中でポシャっていたと思う。ありがとうね。感謝してます。

夜明けのアンコール・ワット遺跡
2006.06.25(日) 出発


気分は「6デイズ7ナイツ」。このATR72、とてもボロいぞ。


奔放に流れる(おそらくは)メコン川


左上の立派なパッケージが機内食。ただし中身はコッペパンとミックスナッツと水(ストロー付き)


昔の宇野駅(ウソ、シェムリアップ国際空港)


サリナホテルのエントランスで。

 午前6時半岡山駅集合だが、デジカメの予備バッテリを会社に置いたままにしていた。充電器は荷物に入っていないのであわててタクシーで会社へ。駅まで折り返すので運転手さんに待っててもらい。5階まで駆け上がる。所要時間12分。Tデスク、A支局長と無事合流して大阪へ。
 関空でOデスクと待ち合わせ。当初はとても揃っては無理という4人がそろった。

 出国前、ドコモのカウンターで国際携帯を借り受ける。前に並んでいた人が「初めてです」と答えたら延々と説明をされていた。ワタシの番になったので「何回か使った事があります」とウソをついてとっとと国際携帯をゲット。

 ベトナム航空の777でホー・チ・ミン空港へ。機中では何かメシばかり食っていた印象だ。
 ホー・チ・ミン空港着。愛想のない窓口でトランジットの手続きをすませ、シェムリアップ行きへ。空港内のバスに乗り、飛行機まで滑走路(のわけはないわな。多分、誘導路でもない通路)を走る。
  また777か、乗客数からしてそれはないだろうと思っていたら、案の定、バスは走路を回り込む。777の後ろに駐機してあったエアバス320が見えてきた。「まぁかなり小さいがこれでも一応ジェットだし」と思っていたら、T見くんが一言「これでも大きいわな」。
  実はその320のまた後ろに駐機されていた双発プロペラエンジンのフォッカーATR72(68人乗り?)がシェムリアップ国際空港への便だった。ジャンボ級から双発のプロペラ機、バスの中から歓声ともため息とも思われるどよめきがおきる。めいめいがいっせいにカメラをかばんから取り出す光景も面白かった。
  旅立ちでこれから乗る飛行機の写真を撮るヒトはあまり見た事がないが、みんなカバンからデジカメを引っ張り出していた。これはこれで旅のスパイスか?
 機内食もなんかショボい。コッペパンとナッツ類のパック、水パックをもそもそと口にする。
 約1時間でシェムリアップ空港に着いた。テロ対策で入国時に写真を撮られるというハナシはきいていたがカメラはいわゆるパソコンにUSBでつなぐ「目玉オヤジ」。現場の写真を撮ろうとしたら叱られた。

 空港を出たところで現地の日本語のできるガイドと待ち合わせなのだが、Tデスクによると申し込んだ時点で残数4とのこと。大型バスのはずはないが、いったい何人の旅になるのだと不安がよぎる。
 シェムリアップ国際空港、何だか建て替えになる前の宇野駅みたいな掘建て小屋だった。空港を出たところで人懐っこい笑顔が印象的な、現地ガイドのチョムランさんと合流。彼によると、成田から女性二人が合流するという。総勢6人なので移動は11人乗りのマイクロバス。
 成田からの便が着いて降りてきたのは、たおやかな美女二人。おぢさんらは何とか糸口を見つけたいが、ちょっとこれは敷居が高い。

 マイクロバスに乗り、早めの晩飯はカンボジア料理というより、ネシアやタイ料理のオンパレード。ナシゴレン、トムヤムクン風スープ、雷魚(?)の焼き魚など。
 サリナホテルのロビーでジャンケン。部屋のパートナーを決め、二人一室で少し休憩。Tデスクにはかわいそうだが、寝不足で疲れなければいいなと思う。

 時間もあったので夜の街へ。6時間余りの空の旅で身体中が痛い。チョムランの案内でマッサージ(というか整体)。1時間30ドル。すごく痛い思いをしたが身体は楽になった。


韓国人ツアー客のカラオケがうるさい、バーストリートの「イン・タッチ」でくつろくワシら

 その後、一杯飲もうという流れになった。Tデスクが「地球の歩き方・カンボジア編」(ワタシも関空で買った)で事前に調べてくれていたので、外国人の集まるバー・ストリートへスムーズにたどりつけた。200メートルほどの飲み屋街だが、両端にバイクに乗った警察官がいて何だか安心。チョムランと別れ、通りの外れ「イン・タッチ」というバーへ。ビールを軽く飲むつもりが本日6回目ぐらいのメシになる。

 

2006.06.26(月) トラブル


アンコール・ワット寺院


はい上がるか、よじ登らなければならない、第3階層への階段


アンコール・ワット最上層にいた少年僧侶


バイクの3人乗りは当たり前、4人乗り(おそらく家族だろうが)も見かけた

 昨晩はバタン、キューだったのでイビキや寝言など、だいぶTデスクに迷惑をかけたはず。それでも6時半に起きて朝食。 このホテル名物(?)のコンチネンタルスタイルのバイキング。もともと食いしん坊なんだが、結構ガッツのある朝メシになった。

 ホテルの真ん前にマーケットがあったのでTデスクとひやかす。酸っぱい匂いが漂い、昔住んでた池袋の駅地下街か大阪の某所かという雰囲気。
 でも現地の若いおねぃさんらが平気でめん類をぱくついているのを見て、 ここで一度くらいはメシを食ってみたいなと思う。
  ホテル前は早朝から仕事に行く人の波、波。畑に向かう牛さんたちが道路をふさいだり、 カメラ下げて一日中写真を撮っててもいいなと思うくらい風景は新鮮だった。
 街は騒然としているが活気にあふれていた。自転車、バイク(100ccまでは免許不要)、バイクタクシーなどなど。バイクの2人乗りは当たり前。4人乗っているのも時に見かけた。

 今回の4人組で唯一の独身はA支局長。しきりに彼の電話が鳴る。「(相手は)支局の(後輩記者の)Tですよ」と言い訳してた。 スカートはいたTなんて知らんぞとみんなでからかう。ハナシの内容からして絶対おかしい。
 Aはワタシらに携帯電話の着信履歴を見せ「T」だと強弁していたが、ワタシの後輩は彼女の電話番号を「倉敷支社長Kさん」と登録していて別のガールフレンド?をごまかしている実例を見ているだけに、調査せずにこれ以上のコメントはできない。

 午前中は遺跡見物。ロレイ、プリア・コー、バコンを回る。遺跡の入口にいる絵はがき売りの少女たちが凶暴だった。
 凶暴といっても乱暴というのではなく、目をうるうるさせて「10枚1ドル」と日本語で迫ってくるのだ。写真を撮らせてもらうことで、みんな1ドルずつ払って絵はがきを受け取る。A支局長だけは写真を撮るだけ撮って絵はがきを買わずに逃げた。早速「やり逃げのA」と呼ばれていた。

 同行のねぇさんたち、二人とも大きなリュックに一眼レフ。雨季なのであちこちに水たまりの残る泥道をものともせず膝をついてカメラを構える姿も堂に入っている。
  聞けばKさんはカメラマンのアシスタント。Sさんは結婚式場にお勤めとのこと。ワシらも仕事で写真を撮っているので、お互いに記念撮影ぐらいは撮り合うようになった。
 早めの昼食。ビミョーに香草の入ったチャイナを食す。サリナホテルで午睡(シェスタ)。大阪・Oデスクはホテルのプール(サンダーバードに出てくるトレーシーアイランドのプールみたいだった)へ。

 シェスタでくつろいでいると、A支局長が真っ青な顔で部屋に飛び込んできた。「すぐ日本へ帰らんと。母親が急死しました」。彼の国際携帯に一報が入ったらしい。すぐガイドのチョムランに連絡をとり、エフ・サン・ツーリストの日本人スタッフが航空券の手配に当たってくれた。ここでは飛行機は山手線のように出てはいない。たぶん新見へ路線バスで行くようなハナシだ。
  キップがとれたのが午後3時すぎ、8時発のホー・チ・ミン経由関空行き。さすが大手のJTB、きっちりしている。

 A支局長が焦るのは分かるが、飛行機の時間まではどうしようもない。チョムランに頼んで、別のガイドを立ててAくんにアンコール・ワットだけは見せておこうという事になった。
 緊急事態で、彼もたぶんうわの空だったはずだが、駆け足でアンコール・ワットだけは見せて、シェムリアップ空港で別れる。
  A支局長、英語はちょっと苦手なんで、ホー・チ・ミン空港でのトランジットが心配だったが、ともかく難しいことを言わず、「ヘルプ・ミー。オオサカ、ジャパン」と言えとアドバイス。


朝イチから食欲おう盛。すべての原動力は食うことだよなぁ


ウシさんが優先のマーケット前の道路


ロレイ遺跡の少年僧侶。ウォークマンでノリノリ


「やり逃げのA」証拠写真


凶暴な物売りの幼女にめろめろのTデスク

 2006.06.27(火)アンコール・ワット


王立子ども病院、午前6時半。診療・治療は無料なので長蛇の列。道の反対側には病人相手のマーケットまである

訪問団4人が揃った貴重な一枚(ロレイ遺跡)



足場、大丈夫か?修復中のプリア・コー寺院



バコン遺跡。小学校の下校時間とぶつかった



バコン遺跡内の小学校。机とイスだけ

 現地時間の午前5時起きでアンコール・ワット遺跡の日の出を見に行く。前日の午後のスケジュールをキャンセルしたんで、おねぃさん二人に謝る。迷惑ついでに昨日の感想を聞くと、オールドマーケットにもう少しいたかった、お目当ての雑貨屋に行く時間がなかったとのこと。ワシらは昨日行く予定だったタ・ブローム遺跡(星の王子様にも出てくる、熱帯樹(バオバブ?)の樹の根が遺跡を覆っていることで有名)は見ておきたかったし、シェスタを削って両方回ることでハナシがつく。

 Aくんから無事、関空に着いたと国際電話。
 昨日Aくんが国際電話で、平日に早朝の関空から岡山・万富までクルマで送ってもらうお願いをしていた「大阪にいる友達(ソプラノボイス)=たぶんスカートをはいた新見支局のT」のことは後日、調査することにする。

 午前中はアンコール・トム遺跡へ。湿気と高温で、ねぇさん格(失礼)のSさんがバテてたのか調子が悪そう。大阪・Oデスクが荷役の象よろしく彼女のリュックを持つが、結局、入口のところでSさんはリタイヤ。冷房の効いたクルマで休んでもらい、駆け足でアンコール・トムをかたずける。
 ワシらのわがままで行った、タ・ブローム遺跡は写真が撮れればいいやと40分の強行軍。Sさんも回復したので、そのあとオールドマーケットへ。彼女らはガイドブックであたりをつけていた雑貨屋へ。

どこかへ運ばれるブタさん。死んでいるわけではありません。


 昼遅く、アンコール・ワットを再訪。昨日の駆け足見物で見逃していたところを堪能する。何もないところだが、多分何日かぼうっと瞑想にふけってもいいくらい、いろいろなウンチクの建造物を見る。3泊5日の日程を組んだ事を少しだけ悔やむ。現実には無理なことなのだろうが。

 遺跡を出るところ物乞いの少年(たぶん5歳ぐらい)が1歳半ぐらいの赤ん坊をかかえて「ハロー、ワンダラー」。
 チョムランによると、ここでお金をあげても親が取ってしまうらしい。時にはレンタルの赤ん坊のケースもあるという。
 コンビニで買ったアメの缶を差し出すと、おずおずと一粒取った。目でうながして赤ん坊の口にも一粒。にこっとした笑顔が目に焼き付いた。

 せっかくここまで来たので屋台料理にもチャレンジ。お目当てはアヒルのゆで卵(ただし羽化しかけたもの。2個50セント)。卵のとがった所の殻をむき、羽におおわれたアタマらしきものが見えたら、香辛料をふりかけ目をつぶってスプーンで。最初の一口はまだ黄身、白身の部分に当たったらしく、鶏のレバーのような風味。本体の方はお好みでとのことなので、ぎゅっと目を閉じてパクリ。香辛料のせいか、クリスピーなお味でしたが柔らかいくちばしと体毛の感触はのどにしばらく残った。ちなみにチャレンジしたのはワタシだけ。


アヒルの孵化しかけたゆで卵にチャレンジする。アヒルのヒヨコ は香辛料のおかげでクリスピーな仕上がり


 ねぇさん二人組のひとり、Kさんは「晴れオンナ」。カンボジアは雨季で旅行中、何度かスコールに遭遇したが、たいてい食事時やら休憩中。満腹になって外に出ると雨はやんでいることが多かった。
 この日、山に登りアンコール・ワットの日没を見物する予定だったが、今回ばかりはスコールが上がらず。残念ながらギブアップ。でもKさん、勝率はおそらく9割。たいしたものだ。

 夜はカンボジア料理のバイキング。料理をつつきながら宮廷舞踊「アプサラの舞」を観賞。ストーリーは分からなかったが、日本にもある民話のような話だった(はずだ)。
 Aくんの部屋が空いたので、3人で2部屋を使えることになった。Tデスクの安眠のため、彼を一人にして、ワタシはOデスクと同室に変更。Oくんには苦労をかけたが(以下略)。


アンコール・ワット寺院の夜明け(まだ二日酔いでした)


アンコール・トムのアクセサリ売りのじょうちゃん。こいつも結構凶暴だった


右から、隊長、晴れオンナ、酒飲み、荷役のゾウ



「やり逃げのA」を悪く言う立場でなくなったワタシ



「アプサラの舞」の主演女優と写真に収まるねぇさんたち

 2006.06.28(水)バンテアイ・スレイ遺跡とトレンサップ湖


湖上の船を家にしている。大丈夫か?



子どもたちの主な交通手段は「たらい船」


行水中の赤ん坊

 カンボジア旅行、実質の最終日。「晴れオンナ」のあねさんら二人とは別行動で午前中はバンテアイ・スレイ遺跡。昼はカンボジア料理のバイキング。トレンサップ湖の遊覧へ。
 トレンサップ湖は、ほぼ琵琶湖のサイズなのだが、雨季には面積が3倍になるという。湖上の船の上に家を建て、湖上生活をしている人たちを見た。まさに「湖の民」。
  幼い子どもたちの主な交通手段はタライ。櫂(ただの棒)一本で器用に湖を渡る。
  湖の真ん中?に浮かぶ、大型船が湖上レストランになっていて、休憩しているとその一寸法師たちが凶悪な「ハロー。ワンダラー」と物ごいに変身するのにはまいった。
  遺跡周辺の物売りの少女たちは「すかーふ、1まい2どる。3まい5どる(これが日本語なのにも参った)」なんだが、一寸法師たちは本当に「金くれ」だけだった。目に涙をためる演技までできる。なんだか疲れもあるのか一行無口のまま街中へ。

 夕方のフリータイムを使ってまたマッサージへ。今回のマッサージのおばさんも、言葉はほとんど通じないが、涙がでるほど強烈だった。

 出国直前の晩飯、チョムランに頼み込んで空港近くの地元料理?の店へ。カンボジア風カレー、雷魚のホイル焼き、ブロイラーではないヒネた鶏の丸焼きなど。現地料理なのかどうかは知らないが、少なくとも観光客向けに味を手加減してはいない料理が並んだ。
  道中、暑いのでライトなアンコールビールばかり飲んでいたが、日本で飲むと「甘い、薄い」と感じるんだろうな。
 シェムリアップ空港の入口でチョムランと別れ、帰路につく。ベトナム航空のカウンターの兄ちゃんがとてもトロくて、早くしろとカウンターを蹴りつづけてやっと発券してもらう。

  現地通貨はレアルだが、インフレで何百レアル持っていてもタバコひとつ買えないありさま(1ドル=約4,000レアル)。
  ドルが当たり前に流通しているが、コインがなく1ドル以下のおつりはレアルになる。うかうかしているとタイのバーツがお釣りにまざる。カンボジアのレアル、タイのバーツ、メキシコのペソ紙幣は束にしてもメモ帳にもならない。

 ホー・チ・ミン空港で飛行機が遅れ、搭乗口からいったん外へ出される。再手続きのX線検査で、いつもカバンの奥に入れっぱなしのスパイダルコの刃渡り4センチのナイフ、この旅で初めてX線検査に引っ掛かり、手続きが面倒なので放棄する。
 今まで空の旅で一度も引っ掛かった事はなく。今回も関空、ホー・チ・ミン、シェムリアップ、ホー・チ・ミンとかいくぐってきたのだが。
 トランジットで成田へ帰るねぇさんらをお見送り。


バンテアイ・スレイ寺院の女神像「東洋のモナ・リザ」と呼ばれているらしい。


中島ブロイラーとは別物のひねた鶏の丸焼き。でもこれはこれで インパクトありました

 

 2006.06.29(木)大阪
 

 飛行機が遅れた関係で大阪駅に着いたのは午前9時半。支社に顔を出すというOデスクと別れ、Tデスクとヨドバシカメラを冷やかす。旅行中、日本食が食いたくなることもなく、昼メシはTくんがフォー(ベトナムの米麺)の焼きそば、ワタシはネシア風の焼きそばセット。

 家族の理解とTデスクの段取りのおかげでいい旅行になった。改めて、ありがとう。

 遺跡を見物しに行ったのにやはり市井の人たちが気になり、写真がかたよった。そのうち遺跡の写真もアップします。