愛国心
2004.05.09


 何年か前、アメリカで第二次世界大戦の戦没者を慰霊する対独戦勝記念碑にいたずら(たぶん落書き)をしたハイティーンに判事が「プライベート・ライアンを二度観るように」と諭したというベタ記事を読んだ。
 映画 「プライベート・ライアン」の冒頭、ライアン元二等兵がフランスの連合軍戦没者墓地を訪れるシーンがある。延々と並ぶ墓標に犠牲者の多さを、奇麗に整備されている墓地に彼らに払われている敬意をかいま見ることができる。

 家族を愛すること、地域・郷土を愛すること、ひいては国を愛するという他国では当たり前の概念を、ゆがめてしまったのは戦後、教育現場に入り込んできた左翼イデオロギーだと思う。確かに、侵略戦争という負の歴史はあるにしても、侵略したのはアジアの欧米の植民地であり、欧米からの解放をめざしていたのは事実だろう。

 大東亜共栄圏構想そのものは、支配者が欧米から日本に変わるだけのように言われている、ただ、歴史に負の遺産のない国など世界中見渡しても、ありはしない。
 
 どの国もその負の歴史も含め自分の国を愛すること、それを次世代に教え育てていくことはしごく当然のことではないだろうか。日の丸、君が代について日教組はこないだまで「法律で定められていない」と言って拒否していたが、国旗・国歌法制後も「内心の自由」とやらをひねり出し拒否し続ける、民間企業ではとても通用しないリクツを苦し紛れに言い続ける、あの教員たちは次世代をになう子供たちにいったい何を教えたいのだろうか。

 「君たちのひいおじいさんは人殺しでした。そして、日の丸・君が代のために殺されました」と言いかねないイデオロギーひとすじの危うさがいまだに教育現場にはある。

 先週からイラクでの米軍の捕虜虐待のニュースで騒がしい。虐待自体は許せないことではあるが、それを真っ向から批判し、是々非々で追及していく姿勢を見て、政府とそのジャーナリズムの健全さが(まだ)米国にはあると思う。