「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」
2006.12.24
2006年度の「新聞広告クリエーティブコンテスト」の最優秀作らしい。日本新聞協会が時々全面広告を出している。
消費者が新しい牛乳から買っていくと、古い賞味期限が切れた牛乳は廃棄処分。毎日2,000万人分が棄てられている。というのだ。
「できるだけ売り場の手前にある古い牛乳を買いましょう。飽食やぜいたくを見直すことで飲料輸送や処分時の環境負担を減らすことができます。ムダを減らしてCO2排出量を減らしましょう」と書いてあるが、本当にそうなのだろうか。
牛乳の賞味期限はかなり厳く管理されている。覚えている人も多いだろうが、雪印の大阪工場での原材料再利用事件を思い出した。スノーブランドの商品がスーパーの店頭から一斉に撤去された。雪印は翌年、発覚した雪印子会社の牛肉偽装事件もあり、一種のマス・ヒステリーが起き、グループの解体、再編にまで追い込まれた。
さて、この「古い牛乳」のコピー、どうなんだろう? 広告では「スーパーの店頭で古いものから買うのが賢い」となっているが、本当にそうなのか?
岡山の広告業界には「旭川産アユ、一匹10万円」という迷作もあるが、元々ひねくれた性格なのか、「どうかなぁ」と考えてしまいう。
「ガラスの地球を救え」とか「地球(ガイアとか呼ばれますよね)は泣いている」といったキャンペーン、人類が誕生する数十億年前から存在している「地球」は何も困ってはいない。「地球」に意識や精神があると仮定しても、種の誕生や滅亡はずっと繰り返されていること。しょせん「このままでは人類が暮らしていけなくなるかも知れないので環境保護は大事です」と言っているだけだ。
日本テレビがもう30年近く、夏休み最後の週末に放送している「愛は地球を救うXX(XXには放送回数が入る)」というチャリティ番組がある。確かにコンセプトは立派なものだが、ちょっと引いて薄目で見ると、「そんな立派な番組なら、なんで国営放送(あっと公共放送か)を含めて民放全局で制作。放送しないのか」という疑問が頭をよぎる。結婚前の妻に「あんなもん、偽善だよ」と言い放ち、ちょっともめた事を思い出す。
牛乳の話に戻ろう。
昔、「店頭で売れなかった牛乳はケーキ屋さんに行って生クリームの原料になるから無駄はない」という話を業界の人に聞いた事がある。むしろ製造過程でだぶついて店頭に並ぶ前に廃棄処分になった牛乳の方が処理料もかさんで大変だとも。ずいぶん昔の話なので、現在でもそうなのか定かではないが。
古い牛乳から買ってもらえれば、生産者が廃棄しなくてもよくなる。それは理解できるが、あくまで生産者の論理。無駄がなくなったからといって、2,000万人分の飲料(牛乳)を飢餓に苦しんでいる人たちに送ることができるのか? 論理の飛躍をCO2削減で逃げていないか?
地球は大事。飢えている人々に救いの手を差し伸べることはもっと大事。飽食日本に何ができるか、真剣に考える必要があることもよく分かる。でも、この「古い牛乳から買う」というコピー、やっぱりどこかおかしくないか?
少なくとも2,000万人分の飲料(牛乳)が毎日廃棄されているのは、主婦がスーパーで棚の奥の新しい牛乳を買っているからだけではなさそうだ。そこには、廃棄されなければ飢えている人々に届けられるのにという「偽善」の匂いがつきまとう。
参考文献:
http://www.mizuho-s.com/santyan22.htm